幸せのために ~ シャーデンフロイデ のことなど

皆様、いつもありがとうございます。

去年の年末にご挨拶はしましたが、前回ブログを書いてからなんと一年以上たってしまいました。。

さて、先日何気なくテレビをつけていましたら、

シャーデンフロイデ という言葉を耳にしました。

まだちゃんと理解していないので、本を購入して勉強しなければ、、と思っていますが、

シャーデンフロイデ というのは、

自分が手を下すことなく、他者が不幸、悲しみ、苦しみ、失敗に見舞われたときに生じる、喜び、嬉しさといった快い感情

のことだそうです。(ウィキペディアより)

なんだか嫌な感じですが、なんとこれは、誰の中にもあり、

社会にとってよくない人、不当に利益を得ている人から、

社会全体を守るために必要な感情でもある

という側面ももっているということです。

誰かを引きずり下ろしたい、という感情ですが、

社会的にはそういうプラスの側面もあるということなのですね。

ですが、個人に対してのシャーデンフロイデは、

他人の不幸を喜ぶ、単なる妬みから発生している可能性が高いと思われます。

これに対し、

シャーデンマッハ― という言葉もあるそうで、

これは、ある意味一線を越えてしまっていて、

他人を不幸に貶める(おとしめる)行為を実際にしてしまう人

をさすそうです。

これはもう、闇落ち、になってしまいます。。

似た言葉の、

妬み、嫉み、僻み、もまたそれぞれ厳密に言うと、意味が違うそうですが、

本人が幸せでないことだけは確かだと思います。

私が、わざわざこのブログを、幸せのために~ としているのは、

どちらかと言ったら、幸せな人が増えた方が全体のためにもいいのでは、

という思いで書いていますが、

幸せな人をねたんだり、引きずり下ろしたい、という思いの人がいるとしたら、

誰かが幸せそうに見えることでの、妬み、嫉み、僻みが発生してしまうなら、

それはもう救いようがないということになってしまいます。

そういう意味でとても残念だなと思います。

ただ、よく勘違いされますが、幸せと成功は、全然違う意味なのです。

成功、というのは、物理的に恵まれた状態や、実績などをさすと思いますが、

幸せ、というのは、気分 の問題だと私は思っています。

私のブログは、成功のため、ではないです。

成功していても、幸せでない人はたくさんいますし、

何不自由なく暮らしていても、幸せを感じられない人もいます。

社会的に成功していなくても、幸せな人もいます。

よく、発展途上国の子供たちの写真をみると、

物理的にはとてもひどい状態にいるにもかかわらず、

目がキラキラしていたりしますが、

幸せとは、もちろん必要な衣食住が足りていたら、

その方がより幸せを感じやすいかもしれませんが、

ひとことで言ってしまえば、

心の中に 希望 があるかないか、ということだと思います。

どんな状況の中でも、希望を失わない、光をみつける、

という心の状態があれば、

その人は幸せの種を自分の中にもっているといえます。

あるものに、感謝できる心かもしれません。

光があれば、たとえ一時、妬みの感情に苛まれたとしても、

それをうまく使って、自分を向上させる方向に努力することもできるはずです。

シャーデンマッハー とは、その対極にある心の状態と思いますし、

それが癖になっているとしたら、とても不幸な人なのだろうと思います。