心を育てる

皆様こんにちは。
一年ぶりに復帰した、一之瀬です。

この期間私はずっと病と共に、自分の心とも闘っていました。
正確にはこの理不尽で混沌とした現代で、いかに心を保って行けるかを模索していました。

正直な話まだ明確な答えにたどり着いてはいませんが、大枠や感覚は解って来たように思います。

すべての人は、2種類に分類されると私は考えています。
一方の人は、他者(事柄)からの評価を自身の拠り所に、見栄やプライドで自分を大きく見せて、心を保つタイプ。
もう一方の人は、あくまで基準を"自分"として、短所や弱点などを客観的に把握しつつ、じっくり焦らずに自身と向き合い、心を育てて行くタイプ。

前者の人は一見華々しい成功者に見えますが、その実心の軸がブレ常に不安がつきまとう、そして歳を重ねても決して満たされる事はありません。
どんなに外側を強固な鎧で固めても、芯となる部分(つまり自分)が無いからです。
、、、心当たりの方はいませんか?

私はどんなに見てくれが悪くいびつであろうとも、後者を選び続けますし、最終的にどんな姿になろうとも、そんな自分の心を愛したいと思っています。

いつどんな場所や年齢であろうとも、それに気付いてしまったら、今すぐ無駄な鎧など打ち捨て、小さくて弱った心の破片を見つけ、そっと育てて行きましょう。
その為のお手伝いならいつでも致します。


10.3.2024

今日から師走。
今年は本当に感情を揺さぶられ続け、気を休める暇がない、疲れる一年でした。
世界的な情勢も安定せず、来年はますます混迷を窮めて行くことでしょう。

ですが私達はそんな中でも、普通に生きて行かなければいけません。
そこで私が実践しているのが、「読書」です。
もちろんタブレットなどは使用せず、紙の質感を指で感じながら、その世界観に入って行くのです。
そして一時集中し気持ちを切り替え、実生活に戻ります。
この一連は、あくまで体感を伴った作業である事がポイントです。

メタバースの世界に浸る"没入感"という言葉がありますが、私はそちらの業界は医療など専門的な分野を除き、一般にはさほど普及しないのでは?と思っています。
META(旧名Facebook)が、酷い赤字に転じた事がそれを如実に表しています。
また没入する時間が長くなるほど、生身の機能や思考力が衰え、結果的に人類の生命力そのものが衰退してしまうと、私は危惧しています。

やはり人間に生まれたからには、自分自身の身体や五感をフルに活用し、生きる事からしか、本当の喜びや満足感は得られないと思いますし、傷付いたトラウマがあるとしても、実体験でそれを上書きしない限り、次の段階にいつまでも進めず、結果的には何年も同じ場所から抜け出せないままになってしまいます。

"没入感"に逃げるのではなく、それは程々に楽しみつつ、自身の生きた身体や心も鍛える事で、これからの困難な時代をタフに生きて行きたいと思う、一之瀬でした。


12.1.2022

現在のような過度の情報にさらされて日々を送る私達は、いかにストレスを軽減しながら過ごすかに追われ、快適とは程遠い毎日を送らざるをえない状況に置かれています。

昨今の昭和レトロブームなども、こういった日々から少しでも逃れ、乾き切った心を潤わす為の無意識の行動から来るのではないでしょうか。

結局人はアナログな事の中でしか、幸せや喜びを見出せない生き物なのでしょう。

いかに奪い合うかといった人類の愚かな歴史から、様々な情報を得る事が出來て、多少は賢くなった私達ですから、今後はいかに"共存"して行けるかにシフトし、互いを尊重して生きる道を選択しない限り、残念ながら人類はいずれ淘汰されてしまうでしょう。

人は誰でも決して特別ではなく、それぞれの場所で日々を生きるという"経験"と"修行"をしているだけの、未熟で発達途中の存在です。
そこには勝ち負けも上下もありません。
ただ一途期、そのような状態にあるというだけであり、時が過ぎればいずれそれも終わり、『時』に洗い流されて去り、新たな人々がそれを繰り返す、ただそれだけ、これがいたってシンプルな真実です。

だからといって私は、ならば自暴自棄で良いなどと思ってはいません。
むしろそんな未熟な私達だからこそ、因果応報もありますし、言霊による自身への跳ね返りや、人を呪わば、、という事も存在する事を自覚し、尊い日々を過ごして欲しいのです。

誰かを貶めたり、自分達だけ助かろうとする人物や宗教などに、本当の意味の"救い"などあるはずも無く、また安易にそれを求め、自身で努力や知恵を使おうとしない愚かな人達にも未来はありません。

まっとうに生きながら頑張ってもなかなか報われない、私によく似た生き下手な貴女方を、私はいつも応援しています(^^)


11.15.2022

気が付けば、今年もあと二月。

目まぐるしく過ぎる日々と、度重なる不穏な世界情勢や気候に翻弄され、今年は特に私自身苦しく、もがき模索する毎日を送って来ましたが、最近ようやく日常を取り戻せたように思います。

人として生きて行く中で、一番厄介で難しい"敵"は、自分自身の頑固な自我かもしれません。

人生という旅の途中途中で、この先もまた壁にぶつかる事はあるでしょうが、少しずつ気持ちを強くパワーアップしながら、その都度私らしく乗り越えて行ければと思っています。

鑑定というスイッチが入ると完全に自我は消え、一之瀬しほりが現れます。
これからはもっと鑑定の時間を増やし、皆様のお役に立てればと思います。

今後ともどうぞ宜しくお願い致します。


2022.11.4

心の健康寿命

皆様お久しぶりです。一之瀬です。

日本列島は厳しい吹雪に曝され、各地で被害も出ていますので、皆様もどうか安全な場所でお過ごし下さいね。


さて私はこの1年間、様々な出来事や葛藤を経て、人生で一番自分自身と向き合う時間を過ごしました。
正直、理不尽過ぎて受け入れ難い事象も経験し、悩みに悩んだ時期もありましたが、令和4年を迎えた現在の私は、やっとその曇り淀んだ場所から、抜け出せた様に思います。 

もちろん今後も生きて行くにつれ、また新たな事柄に出くわすでしょうが、私の性格的に、またそこでもがき悩みながらも、それを自身で乗り越えて行くのでしょう。
まさに人生はずっと修行の連続ですね。


こんな不器用な私ですが、皆様には明るく楽しい日々を過ごして頂きたいと、切に願っています。

そこで冒頭の『心の健康寿命』というワードに繋がるのですが、、、
私が考えるに、あまりに物事(人物)に執着している期間、精神は停滞し、他の事柄は疎かになり、その間の記憶も曖昧になってしまいます。
つまりその期間の"心"は、仮死状態であり、確実に心の寿命も削られているのです。

例えば恋愛に関しても、全く音沙汰が無い状況が何ヶ月も続く人物を待つ事が、果たして健全な状態と言えるでしょうか?
答えは否です。

昭和の時代ならともかく、これだけあらゆる通信手段が揃った日本において、連絡が無いという事は、つまりあなたは「大切にされていない」のです。
そんな扱いを平気でする人物とは、例えまた繋がったとしても決して幸せにはなれません。
さっさと次に行きましょう!

また許しがたい過去の遺恨も、それに囚われている期間はずっと、心の寿命は減り続けている事に早く気付き、現在に戻って来て今を生きて欲しいのです。
私に出来る事は、いつでもお手伝い致します。


私が何より願うのは、あなたが本当に大切にされて、過去の事柄にいつまでも心を消耗されず、少しでも長く、明るく幸せな時間を生きて欲しいという事です。

ちなみにあなたは、周りの方々を大切にしていますか?
もしチクリと感じたなら、少し立ち止まって考えてみて下さいね。


1.14.2022

最近はネットを介して、様々な出会いをする機会が増えました。

ビジネスに結び付く事もあれば、ブログなどに感化されて生き方まで変わったり、思いがけない繋がりで友人になったりと、枚挙にいとまがありません。

しかしいざ恋愛の場合となると、いかがでしょう?

確かに出会いのツールや機会は、アナログな時代の何十倍も増えた事でしょう。
ですが内容は薄く、関係も浅くなっているのではありませんか?

SNSやマッチングアプリで繋がったイコール、単に知り合っただけですよね。
それを『私達は付き合っている』と考えるのは、違うのでないでしょうか?

鑑定でもまだ一度も会った事が無い"彼氏"の気持ちや、今後を視て欲しいと言うご依頼がありますが、ハッキリ言って意味が解りません。
LINEを何往復していようと、愛の言葉を囁かれようと、百聞は一見にしかず!
会ってもいないお相手は、単なる知り合いでしかありません。

様々な人間関係の中でも、特に恋愛に関しては、お互いが直接逢った時の印象・佇まい・話し方・ニオイに至るまで、それこそ五感を総動員して感じ、関係を深めて行く中で徐々に解り合う事が「付き合う」と言う事ではないでしょうか?

恋愛に時短はありません。
こういう形から入った場合、その先の発展はやはり希薄であり、残念ながら長く続くのは、本当に極僅かな場合しかありません。

そして薄く浅い関係しか体験しないので、相手を信じられず、気持ちも分からず、すぐに離れてしまう。(あえて"別れ"とは言いません)
こんな事を何度繰り返しても無意味です。

いくら便利な世の中になったとて、私達は生身の生き物なのですから、生々しい体験の中でしか、本当の関係を築く事は出来ないのです。

いい加減その事に気づき、今のご自身の状況を確認して見ましょう。
あなたは本当に『お付き合い』をしていますか?
ただの"知り合い"に嫉妬したり、試したり、疑ったりしていませんか?
それは徒労でしかなく、占っても未来は視えませんよ。

傷付くのを恐れず、もっと濃厚に関われる関係を探しましょう。


本日は少し辛口になりましたが、本物の深いお悩みやご相談には、優しく対応致しますのでご安心下さいね(^^)


7.21.2021

世界的な天候変異による、自然の猛威を日々痛感している私達ですが、今年もまた大雨による災害が多発している中、本日梅雨明けとなった関東地方で、何とかやっている一之瀬です。

さて、これだけ便利な世の中となり、在宅時にも不便を感じる事はまったく無い今日この頃ですが、逆にそれによる弊害も年々増加しています。

SNS依存や誹謗中傷など、『見なければ』はもう通用しない世の中で、穏やかな日常を保つ為、皆様はどう対処されていらっしゃいますか?

私は最近「メルカリ」と「You Tube」に、とても癒やされています。
You Tubeは解るけど、メルカリ?って思いますよね。

実は私はメルカリでは購入専門なのですが、旅行も出来ない昨今、自宅に居ながらにして、秋田のいぶりがっこを始め、各地のご当地グルメや未使用の調理器具(私はお料理が趣味なので)、遠方にあるスパイス専門店の商品などを、"直接個人的"に注文出来るのです。

実はこの"直接個人的"が癒されポイントで、もちろんアマゾンやネットスーパーでも同じような商品はあるのですが、送られてくる品物に添えられたメッセージや、ちょっとしたオマケなどの心遣いが嬉しく、まるで会話をしながら買い物をしたような満足感を得られるのです。
また店頭には並ばない、変形や大き過ぎる野菜などを、格安で購入出来るなどのメリットも満載です。(以前に比べ食品や未使用品など、アイテムが格段に増えました)

もちろん本当に事務的な取り引きの場合もありますし、悪質な業者や売り主も居ますので、プロフィールや取り引き履歴などを見極める注意は必要ですが、私は今のところ大丈夫です。
※皆様もご利用の際は、くれぐれもお気を付け下さい。

You Tubeに関してもジャンルは様々ですが、最近ハマっているのは、田舎のおばあちゃんなどが出演しているお料理動画です。
ちょっと訛った話し方が温かく、無骨な手にはその方の実直な歴史が現れていますし、その手で作るお料理には心があります。
つい真似をしたくなる夏野菜メニューや語り口に、毎回癒やされ笑顔が戻ります。

インターネットを使う事が避けられない日々の中、デジタルデトックスならぬ"デジタルシャワーデトックス"を意識して、少しでも多くネットの良い方の気を浴びながら、皆様も心穏やかに毎日をお過ごし下さいね!


7.16.2021

早くも4月後半に入り、気候的にも過ごし易くなって来た今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか?
私は相変わらずマイペースに、そして極力アナログな生活をしています。

人生を振り返る機会が増えている昨今、様々な経験をして来た中で、私が思うすべての人類に当てはまるであろう事実が...
・今この瞬間以上に、今の肉体は若返る事はない
・この先も生きている限り、ずっと同じ状態が続く事はない
・今の世界情勢が続けば、いずれ人類は淘汰されるだろう
と言う事です。

それでは生きる意味がない?
いえいえ、そんな事はありません。

そもそも私達が『生きる意味』とは何なのか。

それは 喜怒哀楽の様々な状態を体験する 事です。
そこには答えも結論もなく、事象は移ろい過ぎるのみです。

スピリチュアル的に考えても、私達が住んでいる今の世は、旅の間に立ち寄っている"借り住まい"でしかありません。
しかしとても重要で、大切な滞在期間です。

ですから時には感情的になったり、自分の都合を優先したり、イライラしたり、泣いたり落ち込んだり、身体にも不調な時があったりと、毎日次々と新たに起こる出来事の中を掻き分け、悪戦苦闘しながらも、精一杯生きて人生を終えるのです。
その先の事は私にもはっきりとは分かりませんが、続きがある事は実感しています。
だからこそ、この仕事が出来ているのでしょう。

こんな状態でしかも、生身の肉体を伴い生活している私達ですから、生きている間に『悟る』など出来るわけがありませんし、そんな事に時間を費やす必要もないのです。
もちろんだからといって、自暴自棄に生きるなどは論外ですが。

そんな今生をサバイヴして行く私達が、少しでも希望を持ち楽に過ごして行く為に必要なのは...

己の置かれた状況と実力を冷静に見極め、より良い方向を自分自身で選択する
事です。

とても難解なようですが、他人に依存するのを止め、他人の言動を制限せず、軸を自分に置いて思考する習慣を得る事が出来れば、この苦しい世界でも、多少は穏やかに生きて行く事が可能です。

その為のヒントなど私に可能なお手伝いなら、いつでも承りますよ(^^)

4.18.2021

或る選択

昨年末に89歳の母が他界しました。
認知症のうえ、5年前には脳出血で寝たきりになり、肺がんも患っていましたが、苦しむ事もなく穏やかで自然な最期でした。

今年に入り近親者だけで葬儀を行いましたが、冷たく固くなった母に死装束を付けた時、改めて死を間近で意識すると同時に、生きている事の尊さ、有り難さを実感しました。

毎日ニュースでコロナや事故などで亡くなる方の数だけを見ていると、つい麻痺してしまいますが、そのお一人お一人には様々な歴史が或り、またその死に関わる全てのお仕事に携わる方々の大変さや真摯に取り組む姿勢を、母の葬儀を通じて強く認識し、改めて尊敬の念を抱きました。

近年は様々な理由で自死を選ぶ人がいますが、自我のプライドや先々への恐怖に負けず『敢えて何も選ばず受け入れる選択』こそが、人として一番尊く自然の理であり、どのような状況になったとしても、私自身もそう有りたいと思っています。

1.14.2021

あっと言う間に12月。
今年は本当に、コロナウィルスに翻弄された1年でした。
これから冬本番がやって来る北半球では、ワクチン開発の兆しはあるものの、ウィルスとの最大の戦いが待ち受けています。

自宅などでの待機を強いられた今年を過ごし、皆様も嫌でも自分自身の在りようや、過去を振り返る時間を持てたのではないでしょうか?

空に浮ぶ雲が決して静止しないように、時は移ろい私達の今の状態も必ず変化の時は来て、やがて歴史に埋没して行きます。

どんなに名声を得たり財産を築いても、またはどんなに惨めで苦しい状況に居ようとも、いつかそれは過去となり、またその事を知る全ての人々もやがて去って逝きます。
"終われる"事で、救われる魂もあるのですね。

だからと言って、何をしても良い訳ではありません。
私達はそれぞれの置かれている状況の中で、常に最善を尽くし知恵を絞り生き抜く事で得た、様々な喜怒哀楽の感情を手に旅立つのです。

人生の伏線を回収するのは勿論自分自身であり、因果は必ず自身に返って来ます。
仕掛けた伏線で汚れきってしまわない様に、最期には清々しい達成感と、切なくも愛おしい万感の思いを誇れる自分で有りたい。

"一寸の光陰"を大切に、しっかりと生きて行きたいものですね。

12.4.2020

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