こんにちは。
いつもありがとうございます。
今日はまた、思いこみについて、書きます。
私たちは、意識せずにたくさんの思いこみを持っています。
思いこみの扱いにくいところは、自分では気がつかずに、自分をせまい世界に閉じ込めてしまうことがあるということです。
「あの人がいないと生きていけない」
「あの人がいないと幸せになれない」
こういう思いこみがあると、自分ではとても相手を愛しているような気がしてしまっており、
相手を失ったとき、かなりの悲嘆や絶望を感じることになります。
でも、あえてばっさり言ってしまえば、これらは「思いこみ」 でしかありません。
この思いがエスカレートすると、相手の自由や幸せなどどうでもよい、、
相手は自分が生きるための糧でしかない、、という
扱いになってくることがあります。
自分ではすごく愛しているつもり、、なのですが、自分が生き残るために、ただ必死になっているだけです。
私も、今世でそういう思いに陥ったことがあります。そういう感情的になっているときは、自分のことを冷静にみることは
まず不可能です。思いこみから来た感情と自分が一体化してしまうからです。
「ひとりでは生きていけない」という思いこみがあるときに、別れを告げられたら、
それはまるで死ねと言われているように感じられるかもしれません。
無理に引き剥がされるような痛みを感じるでしょう。
たしかに無理があります。
こういうとき、自分が信じている世界の前提を疑ってみるということが、現状を打開する可能性をひろげます。
「私はひとりでは生きていけない」「あの人がいないと生きていけない」 → 本当にそうですか?
それは思いこみであって、そう信じている間は、確かにひとりで生きていけない気がするでしょう。
でも、その思いこみをやめたら、どうなりますか? 別の思いこみを持ったら、どうですか?
たとえは 「私はひとりでも生きていける」という思いこみを持っている人の場合、
たとえ恋人に別れを告げられても、ダメージはどうでしょうか?
相手にしがみつく度合いはどうでしょうか?
人は自分が信じているように、世界を体験します。
でも、その「信じていること」は変えることも、やめることもできるのです。
それに気付いているのと、気付いていないのでは、だいぶ変わってきます。
「私にはこれしかない!」 と信じている世界では、本当にそれしかありません。
選択がない世界です。それを失ったら、本当にアウトです。この世の終わりです。
「私にはこれとあれがある」と信じている世界ではどうでしょう。
これがだめなら、あれがある。 になりますね。この世の終わりにはなりません。
だいぶラクになりましたね。
「私にはいろんな可能性がある」と信じている世界ではどうでしょう。
あれも、これも、これも、、だめでも、もっと他に可能性があるかもしれない。
になります。
この人でないとだめ、この人がいないと生きていけない、という思いこみを持つことが
どんなに狭い世界に自分を閉じ込めるか、想像がつきますでしょうか。
そして、人はなぜか
他に道がない、絶望感を、自分がこんなにも相手を愛している という勘違いにすりかえることがあります。
人は、本質的に誰かを愛したいという性質があります。
そうすると、その人しか愛せない、ということは、その人を失ったら愛の体験全体を失うことになります。
人の本質は愛ですので、本質に反することは人にとって本当につらいのです。
ただ、それは勘違いした絶望です。
もしほんとうに愛であれば、相手が離れても、相手の自由や幸せを尊重しながら配慮して愛することはできます。
愛することは、自分の思い通りに相手を操ることではありません。それは愛ではなくコントロールです。
相手を自分の栄養分のように、利用し頼ることでもありません。それは愛ではなく、依存です。
また、愛する対象は、自分を含めて無限に存在しています。
相手がいないと生きていけない=私はこんなにも相手を愛している ではありません。
そういう思いこみを持っているというだけです。
ぜひ、自分がどんな思いこみをもっているのか調べて、
その思いこみを一度疑ってみてください。
思ってもいない、新しい道がひらけるかもしれません。
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