本当の望み、補償の望み

こんにちは。

いつもありがとうございます。

さて、皆様は願い事ってありますか?

当たり前でしょう? という声が聞こえてきそうですが、

その願い って、なんのためのものなのか?というのが今日のテーマです。

願いを追求する、その理由など普通考えることはないかもしれませんが、

いろんな願いをみてきていて、時々ですが、

あれ? と思うことがあるのに気づきました。

たとえば、

一般的に、勝つのはいいこと、みたいに普通思われていますが、

病的に勝つことにこだわっている場合、本当は他に目的があることがあります。

それは、、、

本当はすごく劣等感があるので、勝つことで、その劣等感を感じないようにしたい、

勝つのは実は、劣等感の埋め合わせ、補償であるという場合。

勝っても勝っても、満たされることはありません。

本当の願いは、自分が価値ある存在である、と感じたいということだからです。

もしかして、小さいときに、兄弟と比較されて育ち、勝ったときだけ親にほめられたのかもしれません。

勝つこと=愛される=自分は価値がある

負けること=愛されない=自分は価値がない 

ということになっているのかもしれません。

同じようなパターンで、

すごく優秀で、常にトップを目指し、、いえ、優秀なのはいいんです。

でも、常に優秀でも、何か満たされない、、、という場合。

本当に欲しいのは、よい点を取ることで、親にほめてほしい、愛されたい、ということであった場合。

つまり、自分は愛されるためには優秀でなければならない、と思っていて

ありのままでは愛されない、という欠乏感が努力の根底にあった場合です。

この場合、本当に欲しいのは、以外なことに(ありのままで)愛されること です。

どちらの場合も、もちろん勝ったり、よい点をとるのが面白くてたまらない、そのことをすること自体が喜び、

そういう場合は、本当の願いかもしれません。

でも、いくら勝っても、よい点をとっても、何か空しいような気がしたり、

優秀でなくなったときの自分を極度に恐れたり、優秀であることに過剰に執着する場合、

それは本当の願い(それをすること自体に喜びを感じる)ではなくて

補償の願い(欠乏感を埋め合わせるため、またはほかに欲しいものがあり、それを得る手段としての願い)

なのかもしれません。

もうちょっと言うと、補償の願いは、癒されないインナーチャイルドの願いとも言えます。

ですから本当の願いの成就は、インナーチャイルドを癒してあげること、だったりします。

インナーチャイルドはずっと、愛してほしかった、認めてほしかった

それだけなのかもしれません。でもひそかに、私たちの人生を支配するものになっていたりします。

そこで本当の意味で、インナーチャイルドの欠乏感が癒されたとき、

あなたは本当に余裕や喜びをもって、その願いを追求できるのでは、、、

そう思います。

、、、、、、、、、、、、、、、、

あなたの、本当の願いは、何ですか?