幸せのために〜被害者意識から抜ける2

こんにちは。
いつもありがとうございます。

以前にも被害者意識について書きましたが、今日は重ねて、どうして被害者意識は抜けにくいのかを考えてみます。

自分が被害者である、と思っている人は、まず相手が悪いと思っています。
自分は正しいと思っています。
まず、ここで自分にも何か悪いことがあるととか、自分が改める必要があるなどとは、夢にも思わなくなります。

そして、被害者であるのですから、損害を埋め合わせしてもらう権利があると思ってしまっています。
自分は損害を受けたのだから、その分を取り返したい、という思いがあります。
そこにまず、執着があります。
損をしたくない、と思っている人は特に、そこに執着するでしょう。

そして、もし相手を許してしまうと、相手はそのままでいいことになってしまう。だから許さないということがあります。自分は傷ついた可哀想な存在でいられなくなってしまいます。
自分は弱い存在で、誰かに依存していたいと思っているならば、許すことは死活問題です。

被害者でいた方が楽なのです。それは自分は動かずにあぐらをかいて、相手にどうにかしてよ! と丸投げしている状態です。弱者の正当性をふりかざす立場になります。
ただし、精神的にはとても苦しい状態です。
その苦しみをまた相手のせいにします。こんなに苦しんでいるのは相手のせい、、そこでまた自分は可哀想な弱者であることを強めます。

また、被害者意識でるときは、たいてい強い怒りや恨みをもっています。
それ自体が、不幸な気持ちを強めます。

なんとも、救いのない状態です。

実は私も被害者意識が強かった頃があります。
そこからどうやって抜けたか、と思い返してみると、相手に期待しなくなった(相手に絶望した)からだと思います。これは当時はとてもがっかりしたのですが、今思いかえしてみると、とてもよいことでした。
それは、人をあてにしなくなる=自立を促すきっかけ だったからです。
もし当時、相手が下手に私の期待にこたえてくれていたら、私はそこに依存してしまったかもしれません。
人をあてにせず、さっさと自分で歩き出すきっかけをくれた人に、今ではとても感謝していますが
もちろん当時はそんな見方はできませんでした(笑

被害者意識は依存の意識です。自分は弱いからこそ依存するしかないと感じています。
依存から自立に向けて、というのは、人間の変化の中でいちばんきついものだと思います。
依存していた方が安楽なのに、わざわざつらい自立に向けて立つには、それ相応の事情や目的がなければなりません。
ですが、本当に自立してしまうと、その方が精神的にはるかに楽なのです。
本当は、自分で自分の感情や行動の責任がとれることの方が、はるかに心は安定することでしょう。

また、被害者意識でいる意義は、損害を取り返そうとすることにもあります。
損をしたままでは嫌だと思っているのです。
損をした以上の、恩恵を当然受け取る権利がある、くらいに思ってしまいます。

。。ここをもし手放してしまえたら?
損をしてもいいではないか、と思えるとしたら、どうでしょう。

過去の損害を取り返そうという思いにしがみついている間に、長い苦しい時間を過ごさなければならないとしたら
どちらが自分にとってよい選択か、考えてみるのもよいでしょう。

被害者意識とは、自分でほった深い穴に落ちて出られなくなったような状態です。
そして自分ではどうにも出来ないと感じている。。

でももちろん、穴から出る方法はあります。
許すこと。
過去の痛みを癒すこと。
過去にとらわれないと決めること。
自立すること。
自分の人生は自分でコントロールすると決めること。
強くなること。

etc.

被害者意識は、実はほとんどの人が持っているもので
そのせいでずっと苦しんでいます。

抜けるのも苦しいですが、抜けた後には、目の覚めるような青空が広がっています。
そして、自由を感じます。

ひとりでも多くの人が、この深い穴から抜けることが出来ますように。