幸せのために〜本当のプライド

こんにちは。

いつもありがとうございます。

皆様は、プライド というとどんなイメージがありますか?

なかなかいい記事をみつけましたので、張っておきます。

http://woman.mynavi.jp/article/130928-065/

この中では、「プライド」のことをこういっています。

>「プライド」とは、「自分は優秀なのだから、愛されるべき存在だ」と、母親を振り向かせるために、

>習い事や勉強に打ち込む子供に似ています。「自信」がないために、他の何かでそれを埋めようと

>して、身につけていくのが「プライド」なのです。

一方、「本当の自信」についてこういっています。

>例えば両親から無条件に愛されている幼い子供は、「自分は世界から愛されている」ということを

>無条件で信じることができます。

>自信は、このような子どものように、理屈ではなく無条件に感じる、自分への信頼感のことです。

この記事の主題はまた別にあるのですが、それは今はおいておくとして、

私には、もうひとつ「本当のプライド」というものがあるように思います。

それは、母親や世間など、自分以外の人を振り向かせるために身につけるものではなく、

自分が自分の誇りのために努力するタイプのプライドです。

それは、自分が自分であるための尊厳、というべきプライドです。

たとえば、他人を振り向かせるためのプライドですと、それは外からみえる部分だけの優秀さでも

よいことになってしまいます。

外面だけよくしておくことでもいいわけです。これは見栄と言い換えてもいいかもしれません。

ですが、もし外面が誠実そうでも、実際には不誠実だったとしたらどうでしょう。

他の人にはわからなくても、自分の中ではそのギャップを知っています。

そこに本当のプライド、誇りはあるでしょうか。そんな自分を本当に胸をはって好きと

思えるでしょうか。

たとえば、職人が、他人からはもしかしてわからない部分の工程においても手を抜かない、

そういった種類のプライドを本当のプライドだと私は思います。

自分は最善を尽くしている、表裏なく対応している、ごまかしや偽りはない、心をこめている。

それは他人からはわからないかもしれませんが、自分は出来るだけのことはしたという自負心を感じることが出来るでしょう。

世の中にはいろんな人がいて、たとえば他人に寄生して生きているような人もいるわけです。

他人から奪うものは、モノとは限りません。

愛情やエネルギーを他人から奪って生きている人もいます。

でもそこに自分の人としての尊厳はあるのかな、と思います。

もちろん、弱い人が他人からの助けを借りないと生きていけないことはあるかと思います。

それはまったく恥じることはありません。

ですが、他人からモノや愛やエネルギーを搾取していて、そしてそれを公にはしていない

ような場合。。

どこかできっと自分のことを好きになれない、居心地の悪さというものがあると思います。

そんなときは、どうしても、自分は今幸せ、とは感じられないのではないかと思います。

話が飛ぶようですが、

実のところ、人は愛されているよりも、愛しているときの方が幸せなのです。

愛しているというのは、愛を与えているときです。(愛をほしがって交換条件で愛しているときではありません)

愛している人というのは、自分の中で確かにエネルギーを生み出しています。

一方、愛されている人は、愛をもらっているようで、自分からは生み出すことはありませんから、

相手からもらえなくなると枯れてしまいます。

もっというと、愛されることを渇望しすぎると、どこかで愛を盗んででも手に入れようと

するようになります。

幸せになりたくて何かを手にいれるために、どんな手段を使っているのか。

そこに「本当のプライド」があるのかどうか。

たとえば泥棒がいたとして、そのままでももしかして母親は愛してくれるかもしれません。

でもそこに自分の誇り、というものはやはり感じられないのではと思います。

一生の終わりに、この世を去るとき、自分はなんら恥じることはない

(外からわからないようなことでも)誠実に、精一杯やった。

人からどう評価されるかではなく

自分が自分自身の生き方、仕事、愛し方に誇りが持てる。

そう思えたとき、

その人の「本当のプライド」というのは満たされるのではないでしょうか。